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2011/07/26.Tue

10代までの英語―4

高校になると、英語の種類がやたら増えた(*_*)!!!!

リーダー
グラマー
コンポジション
LL(リスニング)
特別英語(って、何が特別か記憶ないけど)

一週間に何回「英語」授業があったんだろう???

先生は二人。
一人は中年男性。ロマンチストで授業に何か品としまりがある、って感じでファンだった。
(ただ、容貌が「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男にちょっと似た感じで
決して大きな声では言えなかった。小さな声でもはばかられた(-"-))
もう一人は、見るからにユニ~~~クなおばあさん先生。
ただし、この人は本格的に「イギリス英語」が喋れた。
よくロンドンに行っていたようで、向こうの話も多く生きた英語(実際使われる)の話も
ずいぶんはさまれていた。
しょうがないので「学校英語」やってます、という本音見え見え
クセの強いお方でございました。

当初、「美術部」に入部。
先生が素晴らしいから是非入るように、と担任の強い勧めがあったので。
確かにタダモノではないおじいさん先生・・・というか、本格的絵描きさん。

ところが、その先生5年前から死の宣告を受けていたとかで、呆気なく亡くなってしまった!!
その後、どういう経緯か「ESS」とかいう「英語クラブ」へ入部。

「実は理解できていない」という根本問題はもう見ないこととし、
「とりあえず比較的、まぁちょい出来る方の生徒?」という立場を維持する方針でいくことに。
(学校のレベルがまた低かったしね
男の先生に褒められたい一心で、他の授業中に単語なんかも調べていたけれど、
なぜかおばあさん先生に好かれてしまった・・・・・・・・
世のなかの不条理を悟る。

忘れられないのは、卒業前の最後の課題として男の先生から出された宿題。
教科書の後ろのほうにあったエドガー・アラン・ポーの英詩和訳。
(ホントはそんなページ、もうやらなくていいってところだったけれど)
何とか印象づけるべく、真っ先に提出し満点をいただいたのだ
(今なら訳せないと思うけどね)

そして、それを機に、以後長期間エ~ゴとは疎遠となることに・・・・・・。
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10代までの英語ヒストリー | Comments(4)
2011/07/26.Tue

10代までの英語―3

それでも何とか「英語嫌い」にはならずにすんだ。
子ども時代の影響と、家庭環境(情操教育・英語教育には熱心だった
自分の資質によるものと思われるけど・・・・

中学2年を終えて又引っ越し・転校。
全国的にも名をはせる極端な超教育熱心エリアから脱出。
いたくのんびりした土地で、のんびりとした受験生となる

(どうでもいいことだけど、卒業後、三つ違いの妹が入学。
すぐに美術と英語の先生に目をつけられ「お、アレの妹か!!」と。
そしてまたすぐに「そのわりにおとなしい。」とか評され、嫌でたまらなかったとか。
私はいたって平凡な生徒だったはずなので、不思議でならないんだけど???(@_@))

まぁとりあえず表面上だけは英語は悪くなかったんだと思う。
理解できてなかっただけで・・・・・・^^;。
で、何故か先生は私が分かってないことは分かってなかったんだと。

卒業後の春休み。

何年振りかで、小学校時代ほとんどを過ごした地へ当時の同級生(「英語教室」仲間)
を訪ねプチ一人旅(?)。
曜日・時間の都合で、現地に着いた足で懐かしの「英語教室」で落ち合うことに。
(実際にはアメリカ人によるアメリカ英語ってこだわりか、窓に大きく「米会話」とあったけど)
同級生の彼女は、なんと既に日常英会話を喋っていた(゜o゜)
私は、と言えば、寡黙な性格となり何も言えず・・・・・・・・・
(先生は懐かしかったけどね

1年後、彼女は「市から選ばれた留学生」として海外で1年間生活。
(当時の留学って、そういうイメージだった)
その後、英語マスターを終えた彼女、フィンランド語もマスターしフィンランド留学。

私はいまだ、エ~ゴと悪戦苦闘する日々をつづけている。


(さらにさらにつづく予定。)

10代までの英語ヒストリー | Comments(0)
2011/07/26.Tue

10代までの英語―2

中学での「正式英語」は、小学生時代より遥かにつまらなく、ただただ大量暗記が待っていた。
読めない疑問を聞ける雰囲気はますますなく、そんなことに関わっていられない・・・
という空気が満ち満ちていたと思う。

私が中1当時の英語担当は「ラジオ英語」も並行して義務化していた。
何しろテレビ録画もない時代、早朝リアルタイムに聞かなければいけない。
自主的に楽しんで聞いていれば何か記憶に残ったのかも・・・・・・(-"-)
覚えているのは、布団のなかで小さなラジカセとテキストで亀状態で潜りつつ
寝ぼけながら聞いていたこと。

いちど中年女性アメリカ人だった・・・と思うけれど、ネイティヴさんが
教室に来たことがあったと思う。
そのとき、例えば
a book の a を「エィ」と発音していて驚いた
Mr.Car(小学校時代のアメリカ人おじさん先生)はもっぱら「ア」「ア」だった。
「正式教育英語」は、混乱させることには長けていたと思う。

そうじゃなくても、丸暗記事項は爆発的に増える一方。

ナクヨウグイス、
一夜(ひとよ)一夜(ひとよ)に ひとみごろ、
春はあけぼの、ようよう白くなりゆく・・・

という調子で、ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレ・・・・・・ふうに
「to プラス ド~シ(動詞」のゲンケー(原型)」
なんてお経よろしくたたきこんだという、おぼろげな記憶が・・・。

比較的近年になって
英語って 1sentence に 1thought
動詞は一つのみ

って原則を知った。

遅いよ・・・・・・・・・(-"-)


(さらにつづく予定。)
10代までの英語ヒストリー | Comments(0)
2011/07/25.Mon

10代までの英語-1

「どのくらい英語やってるの?」
と聞かれるといつも困る。
何しろ、自分でもよくわからないもんだから

そもそもの馴れ初めは・・・ホント言いたくないけど、私世代には少数派の8才くらいだったと思う。
地域の「キッズ英語教室」に近所の同級生達(同じ社宅仲間)と通っていた。
はじめ一年はネイティヴ講師が大勢いるスクールっぽいところ。
その後、もう少し近いところでアメリカ人のおじさん個人がやっている小規模のところ。
(こっちの方が安かったんだと思う。
途中「生徒が増えたので値下げ」となり、母親たち同士驚いていた。
値下げなんて、初めて聞いた、と!)
先生、日本人の奥さんがいたようだけど、日本語はまったくダメだった。
ハーフのお子さん二人も、よく一緒にその場にいた。
昨今のような「歌って踊って楽しくおエ~ゴ」なんてキッズモード皆無。
ひたすら、オームと化しオーム返ししつづけること何年・・・・
(お陰でか、比較的発音は褒められたりする。特にthやL )
あのまま引っ越すことなく中学になってもつづけていれば、運命は変わっていたのかも・・・
(小6初頭で中断(-"-))

いまだ、全く意味ないとっても奇妙的列!!なテキスト1ページ丸暗記してるから
子ども時代って凄いね。
(なんであんなユニークすぎるテキスト使ってたのか・・・・(゜_゜)???)

更に。
何歳からか忘れたけれど、我が家では水曜の夜1時間、母が講師と化し
「おエ~ゴの時間」というものがあった
褒められたい一心で
「海のタコはオクトパス、空のタコはカイト・・・・」
なんてやってたものでござった・・・・・・(懐かしさにひたる・・・)

でも、文法は勿論、な~~んにも理解してはいない。
ただオウムと化し丸暗記してただけ。
(1月・2月・・・・とか、月曜・火曜・・・とかはこの時代に習得)

中学に入って「正式な教育」を受ければ、「ガッテン」しながら
分かる英語」になれるだろうと夢見、期待していた

なにしろ、英語は読めない。
Mike はミケじゃなくマイク。でも Linda はラインダじゃなくリンダ。
なんで?
と、アメリカ人先生には聞けない雰囲気。
(AとOなど、私のなかでは「アマノジャク・反逆児」呼ばわり(*_*))

そして引っ越し先で間もなく中学生に。
学校英語スタート。
そして・・・・・・・

夢・希望は無残に打ち砕かれてしまった・・・・・・・・・・・・・

(つづく予定。多分。)
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